自然と生きる穏やかな日々、自分らしさの先にあった東京・房総の二拠点生活

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Profile
藤崎 奈々子

1977年北海道生まれ。1996年短大1年のデビューすぐ、出演したマツモトキヨシのCMで大ブレイク。その後、バラエティ番組、テレビドラマ、CMなどで活躍。2012年に長期休養に入り、復帰。現在はテレビのほか、美容やアロマのワークショップ、商品開発を手がけている。アロマテラピー検定1級、アロマテラピーアドバイザー、アロマブレンドデザイナーほか、アロマ関連の資格を保有。

Instagram:nanakofujisaki

年齢を重ねるほど、穏やかで優しい空気をまとっていく、タレントの藤崎奈々子さん。かつてバラエティ番組で見せてくれた明るさに加え、相手を包み込むような柔らかさを感じます。その変化について「多忙な生活を経て、自由に自分らしく生きることのありがたさを感じるようになり、気持ちが変わっていったのかもしれません」と語ります。房総と東京の2拠点生活をしつつ、マイペースに仕事をしているという、ライフスタイルについて伺いました。

初めてのオーディションで、合格したのは自然体だったから

――藤崎さんといえば、ドラッグストア「マツモトキヨシ」のCMを思い出す人も多いです。

1996年、私が短大に入学した年でした。初めて受けたオーディションが、マツモトキヨシさんのCMだったのです。当日、何をするのかも分からず現場に行き、言われた指示を淡々とこなして帰りました

その、自然体すぎる態度に制作サイドの方々が驚き、かなりのインパクトを残したようで、あのCMにつながったのです。この仕事で私の人生は大きく変わりました。振り返ると人生に正解はないな、と改めて思います。

CMは予想外の反響を得て、バラエティ番組、グラビアなどの仕事が舞い込むように。やがて、テレビドラマほかお芝居の仕事も増えていきました。自分としては、実力が伴っていないのになぜだろう、と思いながらも、どんどん仕事が舞い込んでくるのです。

マネージャーに「事前に仕事内容を教えて欲しい」と伝えましたが、大きな流れが生まれてしまうと誰も抗うことができなくなるんですよね。睡眠時間を削ってひたすら仕事をしていました。

芸能界で仕事を続けられたのは、人と比べない性格だったということも大きい。「幼い頃からマイペースだったので、よく先生から心配されていて……みんなができることが、私にはできないので、そもそも”できなくて当たり前”と思うところがありました。それが芸能界では強みになったのかも」(藤崎さん)

「売れなくて当たり前。売れなくても傷つかないでね」

――その忙しさの中で、短大を卒業しています。

両親はとても厳しく、高校時代まで門限もありました。ただ、高校卒業したら基本的に自由だったので、芸能の仕事をすることは認めてくれました。それでも芸能の仕事はあくまでも「短大期間の2年間のアルバイト」であり、条件は「短大を卒業する」こと。父は所属事務所にも「学業最優先は絶対に譲れません」と伝えていました

短大入学早々に、マツモトキヨシさんのCMで、それからは怒涛の仕事ラッシュ。朝から夕方まで学校、そのあとは夜中まで仕事だったので、睡眠時間は2、3時間というのが日常でした。あの時は毎日、「ここにお布団があったらすぐに眠りたい」と思いながら毎日を過ごしていました。

高校時代まで親が厳しかったので「短大に入ったら遊ぶぞ!」と思っていたのに、毎日仕事漬け。こんなに忙しくなるとは思っていなかったのです。

――大ブレイクは予想外だった。

アルバイト感覚だったんです。子供の頃からのんびり屋なので、覚えることが多くテキパキ動かなければならない普通のバイトが向いていないことはわかっていました。でも何か新しいことがやりたいと思いながらも、高校生に進学し、雑誌『Cawaii!』の読者モデルにスカウトされたのです。読者モデルの仕事は、楽しかったですよ。毎回、新しい発見がありますし、通常のアルバイトよりも時給も悪くありません。とはいえ、仕事として続けるつもりはありませんでした。

卒業が近くなったあるとき、読者モデルを斡旋していた当時の事務所の方から「卒業したらどうするの?」と質問され、「何かのバイトをします」と答えたら、「あなたの望むバイト代を払うから、タレントをやらない?」と声をかけられたのです。

契約の後、母は「ナナは普通の子だから、売れなくて当たり前。だからと言って傷つかないでね。あなたはあなたでいいのだから」と言葉をかけてくれました。私も「売れないだろうけれど、バイト代が入るならいいな」という認識でした。

――それが、寝る間もないほどの売れっ子に。

ありがたいことに、「仕事が仕事を呼ぶ」という状況になりました。いただいたお仕事は精一杯取り組ませていただきましたし、学びも多く楽しかった。バラエティ番組では社交ダンス、三浦半島での遠泳に挑戦するほか、色々な経験をさせていただきました。

今、振り返ると「なぜあんなに依頼をいただけたのだろう」と思うと、それは私が「普通」だったからだと思うのです。野心はないし、向上心もさほど強くないので、「お先にどうぞ」と言ってしまう。この感覚が、当時の芸能界では新鮮だったのでしょう。

だから、25歳くらいで仕事が落ち着いてきたときはホッとしました。仕事が減ったと聞いても「やった、休める」と思っただけで、焦りなどは全くありませんでした。ゆっくり食事をしたり、お風呂に入ったり、時々友達と会ったりする、少し人間らしい生活ができることが幸せでした。

達成したことを友達に話したら、世界が広がった

――それほど、20代前半は常に時間に追われていたのですね。

だから自覚しないうちに、心身が疲れていました。肌荒れやじんましん、慢性的な気管支炎や扁桃腺炎に悩まされていました。当然、メンタルも疲れてしまって、家族に当たることも増え、心配と迷惑をかけました。

「これはもう限界だ」と思ったのは、眠れなくなったこと。ロケや撮影で朝が早いから、早く眠ろうとするほど目が冴えてしまう。集中力も体力もなくなり、現場でご迷惑をかけることも増えていきました。

それでも、共演者の方や、スタッフの方は支えてくださり、気遣いもしてくださった。その後少し経ち、どうしても事務所の方針と合わないので辞めました。

――それが、2012年、35歳での約2年間の休養でした。

それまで15年以上、働きっぱなしだったので、まずは時間をかけて自分を取り戻していくことから始めました。旅行したり、好きなことを学び始めたりと活動範囲を広げていったのです。

学校に通いアロマの勉強を本格的に始めたのもこの頃です。香りの力は思った以上に大きく、昂っていた心を沈めたり、自律神経を整えたりしてくれました。香りのブレンドについても、理論や技術を学び、複数の資格を取得します。

友人に「アロマの資格に合格したよ」と伝えると「ワークショップをやろうよ」と提案してくれたのです。アロマの勉強は私のために始めたことですが、誰かの役に立てるなら、これほど嬉しいことはありません。友人の協力もあり、ワークショップは盛り上がり、その世界がどんどん広がっていったのです。人に言うことは大切だな、と思いました。

事務所を辞めるという決断には、現在の夫の存在がありました。当時、彼と一緒に住んでおり、「収入がなくなった私を養ってくれる?」と聞いたら「いいよ」と言ってくれて。このお休み期間が私の人生の転機になりました。

「夫と一緒にいると、生きやすいんです」

――夫との出会いについて、お聞かせください。

夫と私は同じ歳で、最初の出会いは短大時代でした。友人グループの一人で、第一印象は可愛い子犬のような人だ、と。彼と恋愛することは想像もしていませんでした。その後もグループで会っていたのですが、あるとき彼は来なかった。友人に理由を聞くと、「あいつ(夫)、彼女ができて、その子から『女の子と遊ばないで』と言われたから、しばらく来ないよ」と。これを聞いて、彼のことを誠実な人だと思ったのです。

彼との再会はそれから数年後の28歳、友人の結婚式の二次会でした。彼はすっかり大人になっており、当然ですが、「可愛い子犬」の雰囲気は全くありませんでした。その後、友達と3人で映画を観に行く頃になったのです。ただ、そのうち1人が参加できなくなり、偶然2人で観ることに。やがて、お互いに好意を持つようになり、付き合う事になりました

28年前に知り合い、20年前から交際していた夫は独自の判断基準の持ち主。「確信したことはすぐに行動する人なので、一緒にいると気づきが多く、私と意見が合います」と話す藤崎さん。愛猫、愛犬との暮らしが始まったのも、2人の話し合いがあったから。

彼に心惹かれたのは、穏やかで優しいこと。そしていつも論理的に物事を考えて、冷静に対処するところを尊敬しています。交際当初、私が感情的になると彼は「こう考えてみたらどう?」と新たな切り口を提案してくれるのです。すると「ああ、そうか」と別の角度から考えることができるのです。

一緒にいて「生きやすい」と思える穏やかな関係が続くと、入籍も意識しなくなるのですよね。子供についても互いのタイミングが合わず、この関係ままふたりで歳月を重ねていくのだと感じていました。そして、交際15年目に、年号が平成から令和になるという時代の節目を迎えます。

私が彼に「令和元日に結婚するのもいいかも」と冗談半分で話したところ、彼も同じことを考えていたようで、令和の元日に入籍したのです。お互いの親も周りの友人も、喜びながらも「安心した」と言ってくれました。みんな私たちが長年交際しながら入籍しないことを心配してくれていたみたいです。

――ふたりの気持ちが合うことで、周りにもいい変化が起こりました。

はい。私と夫の間には、そういうことが多いのです。今、東京のほか千葉にも拠点があるのですが、それもドライブがきっかけでした。もともと、夫がサーフィン好きだったので「この辺りに家があったらいいね」とお互いに思っていたところ、理想的な家と出会い、とんとん拍子に2拠点生活が始まったのです。

その後、コロナ禍前に私たちの理想にぴったりの土地と出会い、別荘を建てて住むことに。今は夫と愛犬アポロ、元保護猫のラムネときなことともに、朝の光で目が覚めて、地元産の野菜や魚を使った朝ごはんをいただくという、理想的な生活を送っています。

日本酒に興味を持ち、唎酒師の資格も取得。「日本酒は国菌・麹とお米で作ります。湿度や温度、季節の変化ほかいろんな要素が絡んでいます。このことを杜氏の方から教えていただき、もっと知りたいと思ったのです」(藤崎さん)

やってみたいことだらけの幸せな人生

――今はタレントのほかに、商品開発やプロデュースなど多岐にわたって活躍中です。

2020年に立ち上げた、アロマ調香ブランド“24/7AROMA”のほか、タレントの千秋さんと“IT’S MINE”(イッツマイン)というブランドを立ち上げました。「ズボラな人、忙しい人が時短でいい状態を実感できるように」と開発したアイテムは、多くの方に支持いただいています。

商品開発に1年間かかりましたが、とても楽しかったです。最初、ゼロだったものが、自分の理想以上になる喜びは、格別のものがありました。開発・研究者の方への意図の伝え方も、最初は勝手がわからなかったのですが、繰り返すうちに「この色味を5%抑えてください」など数値で話せるようになっていたり(笑)。

やりたいことはたくさんありますが、これからも、常にマイペースに挑戦を続けていくと思います。まずはアロマ、そして日本酒と日本の食文化、温泉、伝統工芸などの学びと経験を深めていきたい。千葉に滞在して気づいたことは、地域に根付く文化がとても豊かなこと。その中には、後継者不足や、価値観の移り変わりによって静かに消えてしまうものも多いのです。そういうことを記録するために写真の腕も上げていきたいと思っています。

とはいえ、今は生後1年のワンコ・アポロの育児が大変で。落ち着いたら、もっと旅にも行きたいし、多くの人に会いたいです。こうしてお話しすると、かつては「やらなければならないこと」に追われていましたが、今「やってみたいこと」だらけなんです。そんな毎日にいつも幸せを感じています。

そんな藤崎さんが大切にしている言葉は?

「ありがとう」と「ごめんなさい」

「ありがとう」は、相手がもたらしてくれたいいことに対するお礼を伝え、「ごめんなさい」は 相手に負担や迷惑をかけてしまったことへの謝罪を伝える言葉です。いずれも感情を形にして、区切りをつけて次に進む力をくれます。これらの言葉は、表裏一体だと思っています。

藤崎さんの暮らしに欠かせないアイテム

来宮神社(静岡県熱海市)のオリジナル天然精油”SOU(創)”

「境内にある、樹齢2100年を超える御神木・大楠のイメージそのもの。樟脳、ヒノキ、ヒバなどの香りに包まれて、気持ちが落ち着きます。玄関用として日常的に使っています」(藤崎さん)

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”IT’S MINE(イッツマイン)”のオールインワンジェルクリーム

「忙しい人、私のようなズボラな人向けに1年かけて開発しました。化粧水、美容液、乳液、クリームの機能が1つになっており、スキンケアは1本でOK。スッと肌になじみ、ふっくら、しっとり仕上がるので、手放せません」(藤崎さん)

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コンパクトデジタルカメラ”LEICA(ライカ)Q”の限定モデル”ライカQ グローブ・トロッター”

2018年に日本と英国の2か国限定で各国50セット発売されたもの。「彼と都内から千葉の別荘に帰るとき、『トロッターのライカが出るみたい』と呟いたら、『それ、買ったほうがいいよ』と車を都内に引き返して、プレゼントしてくれた宝物。酒蔵や街の風景などを撮影しています」(藤崎さん)

撮影/古谷利幸 エディター/前川亜紀

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