35歳までファッションと流行に全振り!「やり切った」後に開いた素朴で洗練された新しい世界
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- 宇藤 えみ
1981年愛媛県生まれ。19歳で専門学校入学を機に上京し、スタイリストのアシスタントに。24歳で独立後は女性誌でスタイリングを手がける。35歳で第一子出産後、ライフスタイルへとジャンルを移し、多数のメディアや広告で活動中。2022年の秋に都内から葉山に移住。穏やかで豊かな日常を紹介するInstagram @emiutoにファン多数。自身がセレクトしたアイテムのポップアップ『ふだんの器をハレの日にも展』、作家とコラボした四季展『しきいろ』ほかイベントも好評。
目次
豊かなオトナ時間を生きている女性たちのキャリアや転機、プライベートについて伺う連載です。第10回目は2人の子供を育てながら、ライフスタイルを中心にスタイリストとして活躍する宇藤えみさん。葉山(神奈川県)のご自宅で、人生の扉を開くヒントを中心に、お話を伺いました。

ファッションに“全振り”した若かりし日
ーー宇藤さんが手がけるテーブルやファッションのスタイリングや料理は、洗練されているのに、温かくどこか懐かしい。かつて宇藤さんのお名前を、ファッション誌でよくお見かけしていました。
「はい。キャリアのスタートはファッション誌でした。幼い頃から根っからの服好きで、服の素材や構造、デザインに興味を持っていました。これには、縫製工場に勤務していた祖母、洋裁上手な母の影響があります。ふたりが布から簡単に服を作る様子を見ていたのです。
子供の頃からファッションを仕事にしたいという思いが強く、高校卒業後に地元の服飾系専門学校に進学します。しかし、より幅広い知識と世界を知りたくなり、1年で中退し東京の専門学校に行くことに。当初はバイヤーを目指していたのですが、アルバイトしていた古着屋さんで、スタイリストという職業を知りました。“この仕事をやってみたい”と直感し、まずはアシスタントにしていただきました。
それからは、ファッションに全振りの毎日が始まりました。ファッション誌のスタイリストの仕事を続けるためには、たくさんのブランドの展示会やショーに行き、膨大な服を見て、目とセンスを磨くことが大切です。私は心の底から服が好きだから、見て回るのが楽しくて。

雑誌のスタイリストの仕事は、大まかにブランドから服をお借りして、コーディネートを作り、モデルに着せて撮影し、返却するまでが一連の流れです。当時のファッション誌は着回しの企画が人気で、徹夜でスタイリングを100体組み、撮影に直行したこともありました。
新しいものをたくさん紹介すると、読者の方が喜んでくれた時代でした。“新作ブーツ100見せます!”という、今なら気の遠くなるような企画も「よしやるぞ!」とチーム一丸となって取り組んでいました。
編集者、ライター、カメラマン、スタイリスト、ヘアメイク、スタッフは皆若く、現場は「いいものを作ろう」という熱気に包まれていました。あの中で24歳から34歳までの約10年を過ごせたことは、人生の宝物だと思っています」

やり切った!と満足するまで仕事ができた、そして
ーー第一子出産後、35歳から活躍の場をライフスタイルのスタイリングに移行しました。
「結婚し、生活が落ち着いたある日、“ファッションのトレンドを追い続ける仕事をやり切った!”という手応えがあったのです。出産してからはその思いが強くなっていくと同時に、“暮らしそのもの”のコーディネートをしたいと思うようになりました。
その頃から、世の中全体が、最新の流行を追うよりも、長く使えるお気に入りを見つけたいという方向に変わっていきました。かつて一緒に仕事をしていた編集者やライターが、ライフスタイル誌に活躍の場を変えていったのも、今思えば不思議なことです。食関連のスタイリングの依頼をいただくようになりました。
同時期に始めたInstagramで、子育てと暮らしについてアップしていたら、見た方から新規の依頼を受けることも増えていったのです」
ーーファッション撮影は、早朝撮影や、深夜まで稼働することが多いです。子育てとの両立が難しいから「あきらめた」のではなく、やり切った先に自ずとライフスタイルの仕事の扉が開いていった。
「そうなんです。トレンドを追っていた20代から、暮らしそのものに興味がありました。なかでも器が好きで、やちむん(沖縄の焼き物)や益子焼などシンプルで温かみがある食器を集めていたのです。ほかにも自然素材のざるやかご、木目を生かしたお盆など、素朴なものに心惹かれていました。きっと、そういうものに囲まれて育ったからでしょうね。
実家は愛媛県の中でも自然あふれる地域にあり、ひとつのものを大切に使い続ける文化があります。また、自然の恵みが豊かで、近くの海で獲れた魚や野菜を、塩や醤油でシンプルに味付けした料理が当たり前という環境なのです。
ファッション誌時代の多忙な日々を楽しく元気に過ごしていたのは、幼い頃からの食生活の影響が大きいと思います。お弁当は肉より魚、白米より玄米を選び、素材そのものの味を楽しめるものを選んでいましたから」

生まれ故郷に似た自然が身近な土地に辿り着き、中古住宅をフルリノベ
ーー宇藤さんが20代のとき、若手スタイリストやライター仲間に、手料理を振る舞っていたと聞いたことがあります。
「自宅のインテリアはガーリーなのに、食器はやちむんで野菜や魚料理が中心という、テイストがバラバラのごはん会をしていました(笑)。今思えば、トレンドの先を走りながら、自然との共生を感じ、土地の文化や歴史を表しているものに心惹かれていたのでしょう。
こうして振り返ると、当時一緒にファッションや恋バナで盛り上がっていた人たちが、同時期に親になり、一緒にライフスタイルの仕事をしている……私の人生、本当に幸せですね」
ーーそれは宇藤さんが仕事を続けており、好きなものに正直だったから。その美意識と世界観を凝縮したのが、2022年に完成した葉山の自宅です。
「都内での仕事が中心だった私と夫が、葉山への移住に踏み切ったのは、コロナ禍です。あの時に、自分を見つめ、“子供は自然の中で育ってほしい”という思いが強くなりました。そのタイミングで、この家との縁がつながったのです」
ーーリビングの正面から見える海が、瀬戸内海の穏やかな風景と重なります。
「そうなんですよ! 初めてここから海を見たとき、心の中で“愛媛みたい”と思った時、夫が“えみの実家に似ているね”と言ったのです。とんとん拍子に購入まで進み、中古住宅を購入。1年以上かけ、こだわりを詰め込んだリノベーションをしました」

時間の流れがゆるやかな葉山は、生きている感覚が研ぎ澄まされる
ーー富士山や江ノ島も見ることができるこの家に引っ越して以降、宇藤さんの仕事は明らかに増え、幅も広がっています。
「そうかもしれません。私自身や、この家そのものを取材していただく機会も増えました。この家のリノベーションには、多くのエネルギーを使いました。限られた構造の中で、床や壁材を選定し、間取りや収納などを考えつつ、家族全体のことを考えながら優先順位をつけ、決断していくのは、なかなかハードでした。
これまで培ったセンスと経験をリノベーションに全振りし、“家そのもの”をスタイリングするようにプランを作っていきました。やり切った結果、120%満足する家ができ、この経験が仕事に生きているのかもしれません。
また、実際に住み始めて感じたのは、葉山は時間の流れがゆるやかで、人の営みの中で生きている感覚があること。誰かと比べたり、焦ることがなくなるので、気持ちに余白が生まれていきました。すると、自ずと自分の感性に耳を傾けるようになります。この環境の変化はプラスになっているような気がします」
ーー今、子供達は、幼い頃の宇藤さんのように、海や山で遊び、近くで採れた新鮮な野菜を食べ、地元のコミュニティの中で育っています。
「愛媛から東京に出てきた19歳、都心から葉山に移住した38歳……強い思いに動かされ、決断した先に求めていた世界が開いていました。なんでもそうですが、実際に行動すると、物事はいい方向に変わっていく。今後も自然な流れに身を任せ、一つ一つの仕事と向き合っていきます」
そんな宇藤さんが大切にしている言葉は?
暮らしが仕事。仕事が暮らし。
「これは、京都に工房を構え、おおらかで躍動感ある作品を、生涯かけて生み出し続けた陶工・河井寛次郎(1890- 1966年)の言葉です。 仕事を通じ、森羅万象を見ていた芸術家の言葉に、何度も励まされ、前に進む力をいただいてきました。暮らしと仕事がひと続きだからこそ、湧き上がってくるエッセンスは、人生そのものを豊かに、そして楽しくしてくれると思うのです」
“やり切った”先に、新しい世界を開拓し続けてきた宇藤さん。静かで穏やかな生活を育てながら、生まれてくる洗練は、きっと私たちに新しい気づきをもたらしてくれるはずです。
宇藤さんの暮らしに欠かせないアイテム
気分転換用のフレグランス
(左から)「“楚々葉山”でポップアップをしていた“IKKA”のフレグランスは、娘も私も大好きな香り。気分転換用に持ち歩いています。 “OSAJI”の“kako ルームフレグランス”も自分でエッセンシャルオイルをブレンド。妊娠中の体調に合わせて作ったのですが今も好きな香りです」(宇藤さん)
撮影/古谷利幸 モデレーター/田口まさ美 エディター/前川亜紀